2005年05月18日

「善いと思ふて実行し、良いと信じて考案した手記」その1


 善いと思ふて実行し、
      良いと信じて考案した手記 

                          
              片岡 清助

善いと思って実行し、良いと思って考案した手記の序文として予が生涯五十年間の回顧を記し置くことのも徒事でないと信ずる故、参考の為に其の主なるものを記すことにする。

予は、明治十年九月十七日出石松ヶ枝町で生まれ丑年の六白星である。
小学校は六歳の春、初等科八級に入学した。当時半年ごとに試験があって七六五四三二一級と昇級する順序の制度であった。出石での家は松ヶ枝町から八木町、内町と移ったが父は常に他国へ行商がちで、幼年中は母の手元で養育され、通学当時は母方の里である水野の祖父母に育てられた。随分腕白であった為、育ての母や祖父母の思いは年を取る毎に重く感じるのである。通学の始め頃、祖父に毎日学校へ連れて行ってもらったお世話は、忘れることができない。間もなく祖父は病に臥され危篤に迫るや予に最後の別れを望まれ学校から帰るや否や予の声を耳にし次第に大往生を遂げられた。かくのごとく祖父の愛は別段のものである事も忘れる事はできない。

祖父母に次いで愛された方は、松ヶ枝町の湯葉屋のお祖母さんには家の真向かいであった為、朝な夕に清ちゃん清ちゃんの持ち切りで愛された。当時の足しが湯葉屑であった。予は、その思いを忘れぬ為、出石へ行った時は、必ずその安否を訪問し、親しく語る事にしていた。安田の隣であった藤田の伯母には、格別な記憶がないが、按ずるに世帯盛りの稼ぎ最中であった為であろう。
父の実兄である勝次殿は、明治十三年頃失敗の結果、豊岡に移住し、石田松蔵氏と共同で、大阪朝日新聞の全但特約を引受け北但の拡張を終えて後、十六年南但と分離して拡張に努め和田山に本拠を定め、兼業として書籍文具商いを営み、日新舎と称した。
始め小西豊蔵氏の宅を借受けた後、京口の吉田活版所である家を買い受けて、移転された。
父精三郎殿は、少年時代比較的病弱であったと見え、家宝として保存せる七神の軸に記録あるごとく神のお蔭に依って助けられ、成人して別家されたのである。予の代に成って毎年正月に神前に供える七膳の鏡餅は、右七神様へ供える意思で、子々孫々忘れるべからずと命ぜられている故である。
その後、父は健康に復されて、諸国へ行商を志し、日本中津々浦々まで旅行された由で、商才に長ぜられて居たと伝えられている。
祖母ミネ殿は、予が生まれた当時から病で父の許に引き取り殆ど母の看病であったが老病の事とて回復せず明治十四年十二月二十七日出石町八木町の宅で祖父の七回忌に相当する同じ月に後を追って世を去られた。
父は結局大阪に居を定め明治十九年出石内町の宅を売払って家族を引き取られた。母と予と精七の三人は、相乗りの人力車一基で九月中旬山越えて生野、辻川、兵庫と三泊し、四日間の疲労も苦にせず、初めての汽車に兵庫から大阪へと到達した。
当時の駅は、兵庫、大阪共に洋館ではあったが誠に貧弱なものであった。着坂して父の宿を訪問すれば旅客の一人が虎列刺病にかかって宿は青竹の閉門巡査の立番で面談は相叶わぬと云う有様、事情を陳じて暫く父の指命を受け、或る宿に止宿し父の解放される日を待つ事になった。その頃、大阪は虎列刺病の流行で三日コロリと唱え人心恐怖の有様であった。
大阪へ引っ越し後は、父の生存中筆記された出入帳と題する帳簿に依って明瞭であるからここでは略す。この帳簿は五年間の大体を知る事が出来ると共に父の筆蹟として他に綴ったものがないから、家督として永久に保存すべきものであることを忘れてはならぬ。
この筆蹟は予が東京に修業に行った当時、修業中の心得として下された三通の書面として予の居間に掲げて居るものである。そのころ三十四歳であった父は、如何に厳格であったかは察すると同時に、病身であった為、成人する事を非常に期待された様に思える。
予は不幸にも幼少の頃から父の許に居た月日が短かった為、口授された教訓は少ないが、額面の書面と出入帳に記された内容によって感化された事は多大である。今、その要点を列記しょう。
 主人への義理、親は至極大切にすべし。
 奉公中、本親は孝心を請求せず。
 誰憚らず朝起きせよ。
 主人には両手を突いて申すべし。
目上の方といえども遠慮すな。
目下の人と見て粗忽な言葉を使うな。
先祖の命日は素より、朝夕神仏祈願すべし。
目上の人に言葉を返すな。
 奉公中は、木綿着に限ること。
 奉公中は、学用以外の品を求めるな。
 既に習った書物は度々復習せよ。
 世間の事は人に尋ねて決して恥とならぬ。
 飲食におごり親に小遣を乞うことは、身の為にならず。
 何事にも不足を云わず正直にせよ。
 友人には常に文通すべし。
 孝行とは親に安心させることである。
 蔭で働くのが真の働きである。
 分を守り分を過ぎた事は、為すべからず。 
 主に仕えて忠実ならざれば、
 心に誠あれば、神仏に通ず。
 口は禍の門なるが故、食を節し言語を慎め。

By myfont @ 05:26 PM | 片岡清助氏の手記 | コメント (1)

コメント

 清助氏の手記、面白いやん。まだ続くのかな? 是非続きを読みたいものです。改行した次の行には一文字文の段落をつけた方が読みやすいです。続き楽しみにしてます。
 片岡 永

By 片岡 永 | 2005年06月07日 08:21


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