2005年06月29日
百姓は環境保全者か?
百姓は環境保全者か?
片岡 永
農業の多面的機能を評価しようと言う動きがあり、これはこれで良いことだと思う。食糧自給を支えるだけではない農業の役割。農業者にとっては自分の日々の生活そのものを評価されている気持ちになる。
では百姓はどれほど環境保全に寄与しているかと言うと、僕が実際に畑に出て見ている限り、大いなる疑問がある。畑に出てみて初めて知ったことだ。
僕の畑の隣は、冬に大根、夏にキャベツを広大な面積で作る専業農家である。ご主人はもう70を超えているだろうか。奥さんと二人で、休日にはサラリーマンの息子も手伝っている。彼らはやたらとゴミを捨てる。それが風に吹かれて近隣の畑へと流れてくる。農薬や肥料の袋、お菓子の袋、煙草の吸い殻やパッケージ・・・風で飛んでいけば消えて無くなるとでも思っているかのようだ。
大根の葉やキャベツの葉などの残さは隣接している畦に捨てる。広大な自分の畑があるのに、そこには鋤き込まず、隣地との境に捨てるから、それが腐って悪臭を放つ。自分の畑ではなく、わざわざ他人の畑に向かって小便をする。
農薬は驚くほど散布する。キャベツに使う殺虫剤である。捨てていく袋でそれが判る。これほどまで農薬を撒くのかと、同じ農業者として驚くほど撒く。消費者が見ると、もうキャベツは食いたくなくなるだろう。僕もそれ以来キャベツを買わなくなった。草刈りなどしない。畑が広大だから、周囲は全て除草剤で処理している。
彼らの畑には草一本生えてはいない。それが自慢なのだろう。しょっちゅうトラクターでかき回しているから、草の生える暇がない。いかにもエネルギーの無駄に思える。草がないから大雨が降ると一挙に土が流れ出す。周辺のアスファルトには彼らの畑の土がたまっている。それが側溝を埋め、除草剤と農薬のたっぷり含まれた土が表面を流れて川に入っていくという仕組みだ。
百姓はまず、自らの襟を正すべきだと思う。彼らだけに限ったことでなく、多くの百姓が同じようなものだ。自分の畑にゴミを捨てるから、その習慣が他に行っても出てしまうのだ。

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